遥かなる旅路①~銀河系における人類の歴史
2018年 10月 29日
最近どの記事も中途半端なまま、流れに任せて書いています。
記載途中にしておくのは備忘録としてはまだ書くべきことがあるからですが、そこにずっとかかずらわってもらちがあかないし。どんどん気になることが派生していき、どれもじっくり取り組む必要があるので書くほうが間に合いませんが、少しづつ片づけていくしかありません。そんなわけで、どれも記載途中になり、あとで気づいたことを追記するスタイルになると思います。自分のための備忘録としては、メモをあちこちに散らばせないためにもあまり記事数を増やしたくないと思うので、どの記事も長くなる予定です。今後追記があるときはコメントに書くようにします。
さて前の記事でオリオンと出てきて、いずれ纏めようとおもっていた話を書いてしまおうと思いました。
遥かなる人類史の話です。宇宙のホト(ホワイトホール)から生まれ出てきた人類が、プレアデス、シリウス、オリオンと旅して地球に来る話。まあトンデモの分野ですね ( ;∀;)
こういった話は精神世界系のいろんな人がいろいろ言っており、私も一時片端から読んだ時期がありますが、以下に書くのは、一番本当かもしれないとぴんときた人類の「物語」で、ある詩人(いずれテーマにしようと思っている人物、k氏)が啓示として受けとったらしいその物語を書かれています。抄訳して纏めてみます。トンデモで、賛同を得られないかと思いますが、あくまでお話として書いておきます。
・・・・・・・
■銀河系における人類の歴史
昔々、宇宙が荒漠たる「ご一人者」おひとりのとき、ご一人者は星々を創られ、草木や虫や動物は置かれたが、これを管理哺育する者が欲しいと思われた。
それで小さな穴を作られ、そこからご自身の一部を通された。
通った部分は、自分を「ご一人者」であることを放心(忘れる)仕掛けを作った。
そこが琴座のホワイトホール。それは産みの門として女性の陰部に痕跡を残す。
人は皆、この産みの門を通ってこの世に誕生する。「忘れたことを思い出す」胞衣(えな)の歌を歌いながら。
琴座のホワイトホールはプリズムになっていて、七色の光線となって「ご一人者」の部分が宇宙に飛び散り、それが今日の個々の人間に結晶していった。
【琴座での争い】
琴座には主星ベガと他の惑星群があった。
ベガの住人が最初の文明を創った。
それは親である「ご一人者」の広大無辺の宇宙領域を全て「支配」することが、「ご一人者」に近づく進歩の途であるという形で、「ご一人者」を思い出した。
これを「男性原理」(陰、ネガティブ原理)と呼ぶ。
琴座の他の惑星群では、「女性原理」(陽、ポジティブ原理)が生まれた。
陽とは見えない内面を見える陽光にさらす、陰部の出口を指す。内面へと目を向ける内なる精神を重んじる、静の行き方。
単に親である「ご一人者」を思い出す担当の部分が違うのに過ぎないが、こうして陰陽2極が生まれた。
次元を下って3次元で展開すると、外に向かう「動」の男性原理は、力と権力とで支配征服する悪の原理となった。
内に向かう「静」の女性原理は、内なる精神に目を向ける優しさ、その精華である愛の原理となった。
この二つが統合するとき、「ご一人者」が想起され、里帰り(※神への帰還)が起きる。新たなる「ご一人者」が次々に生まれ、宇宙、調和、おおいなる愛、といったものに次々に到達してゆく。
「ご一人者」は、このような人類を沢山創出して宇宙を限りなく生成発展させようと、人類の創造を祈願されたのである。
【プレアデス、シリウスからオリオンへ】
琴座の苛烈な陰陽闘争から逃れた一部はプレアデスに移住する。
その中からさらに一部が地球に新天地を求めて移植している。
多くは琴座からシリウスに移住した。
シリウスでも陰陽の闘争はさらにきびしく展開し、再び新天地を求めた一群はオリオンへと移住。
オリオンでは闘争はさらに苛烈を極め、最悪にネガティブなオリオン帝国が実現すると、住民を半永久的にコントロールするために幽体にコントロール装置を取り付けたので、住民は死んでも支配から抜けられなくなった。
それで一部は次元転換装置を案出して魂だけを逃れさせる方法で他天体へ逃げ、地球にもその一部が転出した。
これを追いかけてオリオン帝国から「根っからのネガティブな魂」も地球へ人体化する。(いわゆる「黒服の男」は、その例。追いかける男たち)
オリオンではネガティブ派に対抗するために、やみくもに「反対!反対!」を叫ぶ「抵抗派」も生まれた。
この抵抗派も一部地球に逃げてきているので、「根っからの抵抗派」も地球に存在する。
プレアデスからは早期に「根っからのポジティブ派」も来ている。
オリオンでは極限まで陰陽の対立が続いたので、どうにかして統合を産もうとする悲願も強くなった。
抵抗のみでは、どこまでも否定だけで、肯定は生まれない。肯定の卵は肯定の鶏が生む。
この肯定の鶏をどこかの新天地で創ろうという計画が持ち出された。
その新天地を地球とする案が銀河的規模で決定された。
【地球に肯定の鶏を生む作業】
この作業を初めに琴座星人が請け負った。
彼らは地球に陰陽2極を知らず、善悪を知らない無垢な人間を創った。
これがエデンに住むアダムとイブである。
ここにシリウス人が介入した。
人は元々善悪を知る神聖な権利(自由意志)があるとして、シリウス星人は蛇に身をやつしてイブを誘惑し、「知恵の木の実」をアダムとイブに食べさせた。
怒った琴座星人たちは、エデンの生命の樹のそばに剣とケルビムを置いて、悪を知った人間が永遠の生命を得ることからせき止めた。
生命の樹とは、永遠の生命をもたらす「生命の木の実」をつける樹。永遠の生命を得て、もし統合者になれば「統合」を銀河系に保持する人間の祖となれる。
ケルビムとは羽の生えた天使、実は琴座星人が造ったロボット。
剣とケルビムは、アダムとイブが悪を知って、未統合のまま永遠の生命を得てしまうことを阻止するしかけ。
本当の禁断の木の実とは、生命の樹の実のほうである。善悪を知って自分でエデンを離れた私たちにとっては。
※話が象徴的でわかりづらいです。思うに、エデンを離れるとは、生まれたての無垢の魂だけが住むエデンから、知恵ある大人の世界に行くこと?善悪を知るとは、善に対峙する悪というものに出会うこと?知るということは、それの支配する世界の住人になること。善だけではだめで悪のほうが自己を利するという損得勘定を知り、利己が原理である世界、利己と利己がぶつかり合う闘争と支配被支配の世界、そういう天国から遠く隔たった世界に彼らは追放された、いや自らそれを選んだ。
シリウス星人は誘惑の蛇(サタン)だが、もう一面の白いほうの蛇の顔も持っていた。
彼らはアダムとイブが眠っている間に、遺伝子のDNAに「生命の樹」の情報をインプットした。これはある時になると目覚めるが、時が来ないと発効しない。
シリウス星人は、アダムとイブの進化を急ぐため、二つの条件をそなえた遺伝子の持ち主を探り当てた。
地球人と縁があり、しかも地球外の進化したヒトであること、の二つである。
【選ばれたプレアデス星人】
昔々プレアデス星人は琴座の両極闘争に疲れ果て、新天地を自然に恵まれた惑星地球に求め、入植した。
環境になじむために、進化の緒につき始めていた霊長類の遺伝子をとって自分の中に封入した。
だからプレアデス人にとって、地球人はある意味でその遺伝子をもらった母である。
そのプレアデス人はその後地球を去って、プレアデス星団へと居を移した。
時がすぎ、ここに、地球人の遺伝子を持ち、地球外で進化したプレアデス人が、今度は地球人アダムとイブの進化を促進するために、その遺伝子をあらためて提供するものとなった。こうして地球人はプレアデス人の子となった。
言い換えればプレアデス人は地球人を母とし子とする。両者にはそのような深い結びつきが生じたのである。
※ここまでで、最初に出てくる宇宙のホト、にイメージが湧きました。
・・・これは「荒吐」ではなかろうか???と、ふと思いついた。
漏斗状のホトから次々に産んで吐きだし、この世に顕(あらわ)す。
荒は顕(あら)。アラの世界=現実界に吐きだして顕現させること。
ベガにあったというのも意味深い。
ベガで最初に生まれた文明が、男性形だった。
持論を持ち出せば「生成発展の左回転」が先ということか?
それの揺り戻しとして「帰還の右回り」女性形文明が生まれたか?
ご自身を通し、とは持論の電流と磁場の話に通じる。荒吐は電流に貫かれ形成された磁場。
この世界は磁場、電気的エネルギーフィールド。実は実体は無い。なのに測定できる。
電流に当たるのがクナトだろうか???
クナトとは、貫く電流、縦の線。
クナトと荒吐(アラト)は、縦と横のしくみとも見える。
縄文の感性とは、このしくみを殆ど肉体的に感じ取っていたのではないか?
これは十字でも表せる。
アラトのしくみは8のしくみでもある。
八大龍王のしくみでもあろう。
8のしくみの中央には8+1=9の、真ん中の1がある。
それが縦の線を上から見た1点、神の直霊(なおひ)であろう。
プリズム、7色の光線にもピンとくるものがある。
7色の光線は、6の原理を思い出す。
7(6+1)で1単位となり、フラクタクルに拡大する。
「ご一人者の部分が宇宙に飛び散り、それが今日の個々の人間に結晶していった」というのに、どこかで通じている?
真ん中の1は、神からくる光?直霊?
それを麻の葉グリッドは直感的に、視覚的に、表現している。
私たち一人ひとりは、6の原理によりなる結晶体、麻の葉である。
それは立体であるので・・・・(つづきはまたに。)
人類史・つづき
【邪魔をされるアダムとイブの目覚め】
天体、地球も一個の生き物、生命体、意識体、いわば巨きな一人のヒトのようなもので、進化する。
2万6千年ごとの周期で一歳を重ねる、その節目が今来ている(※それだけではない、7のサイクル、7つ目の時代の括りも重なる。後述)。ここで地球は次元を一つアップさせ得る。プレアデスの遺伝子で進化を促進されているので、この節目に合わせてアダムとイブの目覚め(次元アップ)も可能になる。
ところが、これを強烈に阻止したいと悲願する一群がある。
地球に来たオリオンやシリウスの、根っからネガティブの魂たち。
次元アップすれば彼らのもくろみ~サタン帝国建設計画は瓦解するのでやっきになっている。
つづく
この記事は、赫夜様の『まがつひめがみのクニ』を邪魔しようとする水色の肌と爬虫類の目の存在、に注目して書き始めたものです。
それを私はオリオン星人、いやオリオン人を支配しようとしていた宇宙的存在ではないか?と思いました。
そうすると元正らが目指した日高見王国、義経が目指した荒吐王国の再建設は、宇宙的な規模の話になるのかも・・・??!
それと、「霊長類」の遺伝子を取って、の部分に、R様の職場の方が云われる「猿のスサノオ」の話を思い出しました。
私の見た夢、赤坂の日枝神社内の建物らしきところに集結しようとしている、神職姿や紋付き袴姿の猿たちも。なぜ猿なんだろうと思ったのでしたが。
そうすると、「牛のスサノオは」・・・?
k氏はプレアデスはポジティブ(光)、シリウスは両面性の星(光と闇)、オリオンはネガティブが極まった闇の星、と言っています。
地球は銀河系の悲願である統合が試される「希望の星」だそうです。
思い付きかもしれませんが・・・シリウスの両面性に、牛を連想するのです。
十牛図の黒い牛と白い牛の話。
また、角は牙を持たない草食動物が身を護るためのアンテナともなるのではないかと思います。
アンテナは、良いものも悪いものもキャッチする。
どちらに波長が合うか、白い牛になるか黒い牛になるかは、本人の問題となります。
何かそういう仕掛けを、牛のスサノオは人類に仕掛けたのだろうか?と思います。
人類が自力でステップを昇っていくために?
■牛とヒトの秘密~十牛図
禅の「十牛図」と森田療法─正馬先生の「心牛」探しの旅─【前編】
よりお借りしました
第4図の自己(牛)を捉え、悟ったと思う段階では我執に過ぎず、牛は黒い。
その後精進し、牛は白くなる。心の深奥に帰還し、悟りの段階になると、第7段階「忘牛存人」。牛を忘れヒトとなる。
その後無一物無尽蔵の境地では第8段階「人牛倶忘」、ヒトも牛もともに忘れる。
自然に還り山を下りて修行時代を終わり、市井で慈しみの人となり、衆生とともに生きる。
それにしても何故ヒトと牛を重ね合わせるのか、ということです。
ヒトと牛には、深い関係があるから・・・
黒い牛。この牛を跨いではいけない。人を呪わば穴二つ。魂のふるさとに還れなくなる。
吉田一気様 呉音霊の暗黒面 No423 よりお借りしました。
ボストン美術館収蔵 熾盛光如来往臨図 (コントラスト強調)
よりお借りしました。
この絵は何やらもの凄い・・・いっぱい情報が入っている。
どこか梵字を連想させる仏たち。
12の単位で並んでいる。
音に関係あるだろう・・・摩多12音・・・
手前の12仏の頭上にある2個とか5個とか7個とかの点々は何だろうか?
高句麗絵画は凄い。
高句麗の文化は、呉と通じている。「句」繋がり。
熾盛光って、シリウスの輝きのことだったりして?? (追記→✖)
そのさらなる源郷はベガ。
日本語はベガ起源って聞いた事ある。
「牛の系譜」が伝える「悉曇」は、呉を経由して高句麗にも行って日本にも来て、その12母音は今の日本語の母音に吸収された????
■人類史つづき
【終末予言】
地球人には生命の樹の目覚めの因子がインプットされているだけでなく、これを目隠しする煙幕が張られている。だからごく一部のポジティブの魂の人々を除いて地球次元アップ以前にその因子の目覚めが起きることはまずない。多くの人々は地球の変化に伴う地軸の移動、地殻変動、いわゆる大天災が起きるとき、まだ眠っている。そこにネガティブ系がこの際大戦や経済破壊を仕組んで支配の決め手にしたがるからこれから起きる人災のときも半眠りだろう。
この眠りを打破して多衆を生命の樹に目覚めさせる方法はただ一つ。心魂にこたえる大患難。
これはシリウス人が仕込んだ生命の樹の種子の情報を発動させる。
終末の天災人災は人の固いクルミの殻を破るために仕組まれた槌。
だからこれまでの終末予言は大患難のあとに目覚めがあるとしている。
(もしも「別のもの」が出現することがなければ・・・)
これよりあとは、壮大な話となりますが、今ここに書くことははばかれますので、ここで止めます。)
赫夜様よりコメント
●猿のスサノオ、牛のスサノオは、ネガティブな集団である黒服の奴らや私とY美叔母の夢に出てきた、水色の羽をしたコウモリ人間達に抵抗してきたのだと思いました。
ただ、これも直感的なものでしかないのですが、一字金輪仏頂を仏画で表すのは、ちょっと本来の意味とはズレた解釈されそうな気がします。でも仏画で表す以外に方法が無かったんでしょうね。そう言う私も一字金輪仏頂の表す真意は皆目見当も着きません。
梵字は宇宙語であり、絶対に地球上の言葉に翻訳も出来ないし理解も出来ない。
しょせん理解出来ないのだから、それはそれでよしとします。
私は悉曇学とか、そういった難解なことは、今回の人生ではちょっとでもかじってみたりとか、そういうことは今後も無いだろうと思います。私は宇宙語よりも日本語でいい。
日本語の50音にも、それぞれ神が宿る、と考えています。
ベガ発の音霊は日本語に結晶したのではないだろうか??
草木や石ころや、万物に神はやどる。当然音にも宿るはず。
とくにアオウエイには特別な神様が・・・アの神様、オの神様・・・
なんかそんな素朴なところで感じていたいです。
密教ではなく、法華経ですね、私も母と同じく。
それよりも。
私は「吉田一気の信仰と祈り」で吉田様がこの絵を紹介くださったのは、牛と仏らが乗る「泡立ち尾を引くオタマジャクシ型の雲」に注目されてのこと、ということに注目したいのです。
■龍と玉の遼河文明
以下は、今浮上しつつあることと繋がっていく、非常に重要なことが書かれていると、
遅まきながら気づきました。(2020年1月10日)
赫夜様より
●Y美叔母(母の妹)と私はまたもや同じ夢を数時間違いで見ました。それは、Y美叔母と私がK子伯母(父の姉)からそれぞれ緑色の翡翠の指輪を渡された夢です。その翡翠の指輪は紅山文化遺跡で出土した龍の輪に酷似していたのです。
K子伯母はY美叔母にこう言いました。
「Y美さん。もし私の魂が消される事があったとしても赫夜ちゃん(私)の事を頼みます。そして赫夜ちゃん。Y美さんと一緒に力を合わせ行ってね。貴女達の本当の仲間は未だこの世にいるわよ。それを覚えていてね。」
その直後にY美叔母と私は別の場面(世界?)に飛ばされました。その場面は、又しても恐ろしい光景でした。
一人の若い男性か少年が女神とおぼしき存在から使命を仰せつかっている場面の様ですが、その男性か少年はひどく怯えた様子で女神に訴えています。
「僕一人だけが詩ねと仰るのですか?!」
女神はこう答えます。
「心配はいりません。貴方と共に死んでくれるお共を用意しました。」
こう言ってY美叔母と私をその男性か少年の前に突き出したのです。Y美叔母と私は必死に「これは女神なんかじゃない!悪魔の怪物よ(だよ)!本物の女神様は貴方に死ねなんて言う訳ガ無い!」
そう言って男性(少年?)を説得している場面でした。この女神の様な存在も、ネガティブな意思でベガ人を支配しようとした輩の一部でしょうか?
たて続けにY美叔母と私は同じ内容の夢をほぼ同時に見るので、余程重大なメッセージでもあるのでしょうかね?
私にはよくわからない世界の出来事のようですが・・・そのような世界はたしかにあるはずですが・・・
自分のこれまで培った思想の中にある「死ね」という言葉には、この女神の云う意味は「無い」のです。
最終的にはそのことに触れる内容を書いていくつもりですが・・・
「死ね」に「消えろ」という意味を持たせるなら、それはあり得ないのです。
何故なら、ヒトは永遠の命であり、死は別の世界への誕生でしかないからです。
それは前の記事で触れかけています。
ヒトや万物は車輪の様に転がり続け経験を増やし続けていく、それが法輪とか転輪とかいう思想です。
「消えろ」とのたまう存在は、悪魔的なナニカでしかないでしょう。
「消えなさい」という言葉は、宇宙法則の中には無いからです。
消えるのは、宇宙法則に沿わないために、自ら消えていくのです。
全て、自分が選ぶのです。
だからk子伯母様も、消されるということはあり得ません。
自殺の強要、というのはネガティブの極限まで行った者たちのすることです。
(大津皇子や高市の系統にもそのようなかたちで死なされた人がいるようですね。それでも憎むな、と言った。崇高な魂は、お前らこそ死ねなどと怨霊になったりはしません。)
子供のいじめにも「死ね」が蔓延している。子供たちすらソレに侵されているのが現代です。
しかし宇宙はそんなモノたちにも、死ねとはいいません。
宇宙法則には活かすことしかありません。
法則に合わなければ自ら消える、それだけです。
しかし無に帰すということも実はあり得ないことであり、消えるの意味は、ミジンコよりも原初の、分子原子の段階にまで帰る、つまり気の遠くなる輪廻転生を最初からやり直すことになるみたいです。
あるいはそこまでいかなくても、他のネガティブな星に転生して、より苦労の途をやりなおすという道があるようです。
しかしそんなヒトが一人でもでない、一人でも減らすようにする方向に、ポジティブな高次の存在とその影響下にある一部の人たちは、「死を賭して」頑張っているみたいですよ。
つまり、自分は死んでも万人が救われるなら、と「自分の命を投げ出す」人たちです。
そんなお話が宮沢賢治の童話にいくつもあるし(ペンネンネネムなど)、賢治は最澄の法華経に触れて宇宙法則を知り、わかりやすく童話にしています。
追記:
>Y美叔母と私がK子伯母(父の姉)からそれぞれ緑色の翡翠の指輪を渡された夢です。その翡翠の指輪は紅山文化遺跡で出土した龍の輪に酷似していた
に反応しました。紅山文化の出土品・玉竜
私は緑の龍で、思わず豊玉姫を思ったのです。
ごく直感的なものですが、海人系倭人の影が、玉竜にはある??
紅山文化のあった地は、かの龍城国があった燕の地域です。
龍城国は昔氏および、のちの北燕天王に繋がります。
龍城国のあった地域は地勢的にも、呉と高句麗を結ぶ「kr文明(クリ、カラ、クルなど)」の線上にあります。北燕の滅亡のさい、最後の天王「馮弘」は高句麗に亡命するも、高句麗の分裂混乱により、騎馬援軍を付けられて日本に来る。もう一つの流れは呉の方面に行ったらしい。
遼河文明(紅山文化含む)について
■「龍と鳳凰、そして蛇---大陸の北と南からニッポンへ来た文明」
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-124.htm より
長江文明、黄河文明だけではなく、第3の文明、遼河文明があった。
長江文明は長江流域に独自に生まれ、稲作を生んだ。
黄河文明はそれに遅れてシルクロード経由の西方文化の影響を受けて生まれた。
遼河文明はタリム盆地の北縁にある天山山脈の北側、森と草原のはざま、ステップロードで生まれた。
龍の文化が生まれたのはその、長江でも黄河でもなく、中国東北部、現在の遼寧省を流れ渤海に注ぐ遼河の周辺だった。
■ 遼河文明、龍と玉の起源 – 古代史俯瞰 by tokyoblog より
遼河文明とは、満州南部、中国東北の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つ。紀元前6200年ごろから存在したと考えられている。
1908年に考古学者の鳥居龍蔵が遼河文明の一つである紅山文化(こうさんぶんか)を発見したことから始まる。
紅山文化: 紀元前4700年頃-紀元前2900年頃
中国最古の玉器は、長江流域の河姆渡遺跡のもので紀元前 4800 年前後といわれてきたが、遼寧省阜新市から北東へ約五十kmの沙垃郷査海遺跡から紀 元前 5900 年頃のものが発見され、「紅山文化」は一躍中国史上最古の玉器を有する考古 学的発見となる。
遼寧省西部の興隆窪(こうりゅうわ)文化 における遺跡の一つ、査海遺跡(7,000年前)の墓地から、全く予想外のことだが、耳に玉ケツを着けた遺体が発見された。それだけではなく、玉匕(ぎょくひ)や玉斧などの玉製品が発見された。
長江流域における最古の玉は、6,500年前まで遡るのがせいぜいであり、7,000年前の査海遺跡の玉は、正しく中国最古の玉であることが明確となった。
■http://www.geocities.jp/oden1947/a13.htmlより(新次元の叡智様より孫引き)
豊玉姫が龍の姿で産んだ子は新羅王脱解である。
一方、書紀の豊玉姫の物語は、姫が龍の姿になって卵を産んだと記述されている。両方の物語りは本来、書紀から新羅本紀へ話が繋がっている。また、どの史書を取っても豊玉姫以外に卵を産んだと記録されている姫はいない、よって龍城国出身の王女とは豊玉姫である。
以上から、豊玉姫の子が脱解王であるという結論が導かれる。
●優しげな女神の様な存在は、すずたま様が仰っていた「口から蜘蛛の糸を吐いてきた魅力的な若い男」の仲間だなと、私は直感しました。
ネガティブな奴らは、さも女神の様に振る舞い、プレデアス人とシリウス人の末裔(猿神族と牛神族)たる現人類をネガティブ側に引きずり込もうとしているのでしょう。
私もY美叔母も遠い過去世でこの「女神の如く振る舞った『ソレ』」に負けてしまった・・・だから私もY美叔母も、自分自身で事実確認もせずネット上の情報だけに踊らされて集団ヒステリー的になっている人達を強烈に嫌っているんだと思いました。
例えて言うなら十字軍遠征時のローマカトリック教会や現在のイスラム過激派のテロリストを裏で操っている奴らです。「本物の崇高なる存在は、自らが創造した人間達に死ねなんて言う筈が無い」これが真理でしょう。「信仰の証として命を投げ出せ!」とか「お前の大切な者を私(神)の為に生け贄として捧げろ」なんて言う「自称神」は神なんかじゃなく、「ネガティブな奴ら」です。それか「ネガティブな奴ら」に操られている手下に過ぎません。
K子伯母(父の姉)が私とY美叔母(母の妹)に龍の指輪をくれたのは、人の魂は永遠である事を教えてくれたのだと思います。確か紅山文化の龍の輪は「永遠」を示すものだったからです。
●豊玉姫という名前も世襲制の様なもので、何人もいたという事でしょうか?ウガヤフキアエズと豊玉姫、ヒルコ(日子)を船で流したイザナミの神話にもオーバーラップしますね。
龍城から新羅に流れ付いて新羅王の昔脱解になったという神話ですが、脱解は倭人ではありませんでしたっけ?脱海≒ウガヤフキアエズ?因みにウガヤをスマホで変換したら「烏賀陽」が出てきました。カラスと太陽なんて正に熊野神社と高句麗のヤタガラスですよね!ウガヤのカヤは朝鮮半島南部の伽耶という説もあります。伽耶は星でベガ(織姫星)の意味もあるとか。
また中国福建省には新羅地区という地名があります。龍城の豊玉姫の末裔では?更に北燕があった五胡十六国時代の新羅は大国ではなくて、小さな都市国家で、北燕が宗主国だったそうですから、北燕も新羅も共に豊玉姫の末裔という事で、この様な政治形体だったと考えられますね。
●日足紋の太陽とヤタガラスが抱える太陽とは、私も地球から見える恒星の太陽ではなくて、ベガ系惑星に住んでいた時の惑星から見えた恒星ではないか?と思います。
ウガヤ(烏賀陽)とは。オリジナルのルーツがベガにあったものという意味ではないでしょうか?鹿屋野姫も射程に入れて考えたいですね。
そういえば松野連姫氏系図のところで出てきた熊襲(=熊楚)も、名前にカヤがつきました。
再掲
となっています。なんで宇也鹿は文がつかないんだろう?宇鹿文ではないのだろうか?
熊襲の王は一字だったはず。熊・厚・宇・・・倭の五王の一字に繋がる。
倭の五王(呉王)は烏賀陽王朝?
1万3千年前後前に、ベガ(=鹿屋野姫?)は中天にあった。
歳差運動で、今は北極星ポラリスに地軸が向いている。これから1万3千年かけて地軸はベガに向かうサイクルに入る。
長江に文明が誕生したのは1万4千年前。ある期間、その文明はベガの影響下にあった。
呉系楚人は鹿屋野姫を祖神とした。
その記憶がウガヤ朝に繋がる?
赫夜様より
●春秋戦国時代の楚ですが熊氏の国ですね。
熊といえば紅山文化でも熊の神?と思しき神像が出土している様です。
現在の朝鮮半島に住む人々とどこまで民族的な繋がりがあるか不明ですが、朝鮮の建国神話に壇君神話がありますよね。確か壇君も誰かの庶子と熊女(ウンニョ)との間に生まれた子供との事ですが、熊女が紅山文化のクニの女王や王族だとしたらどうでしょうか?人間になりたがっていたメス熊というのは、後世父権制社会になった時に意図的に書き換えられたという事はないでしょうか?
そうなると壇君神話の場所は朝鮮半島じゃなくて、遼東・遼西から内蒙古自治区の辺りになりそうですね。
そうか!熊女でした・・・
熊氏の楚には遼河の河口、紅山文化からの流れも流入していたのでしょうか?
高句麗の実体は壇君朝鮮とどこかで繋がる気がしますが・・・?
ということは、壇君と熊女は、次の記事の太陽男神と月女神に繋がっていくということ?
契丹古伝にヒントがありそうに思えます。ずっと気になっているのですが、取り組めずにいます。
しうから(東大神族)、すさだみこ・・・
●Wikipediaで調べたら壇君の父は天神・桓因の庶子(長子なのに流された日子みたい)と熊女との間に生まれた子供みたいです。
尤も当時が母権制だとしたら母違いの子供の扱いが悪いなんて事は無かったと思いますが。
熊女が月女神という視点は当たってるかもしれません。月女神アルテミスもギリシャに入る前の小アジア時代は熊と関係がある女神だったという研究を、京都大学の大学院生がされていた記憶があります。アルテミスはウルスラ(熊の女神)という別名もあったそうです。
そうなのですか。
熊とは何でしょうか?
動物の熊ではないと思ってきたのですが、やはり動物の熊でしょうか?
熊は自然界を代表する神の化身のように神聖視され、クマ、カム、カミとなったのでしょうか?
天界(太陽界)に対する地上界(自然界)のイメージでしょうか?自然界における事象は月の満ち欠けや潮の干満に左右されますから。
ある韓国の学者はある時代から太陽信仰が熊信仰に変わったことを良くないことという視点で、真っ黒な熊を太陽に反する存在としています。
赫夜様より
●その韓国の学者さんがどういう文脈で「熊は黒いから~」と言っていたのか解りませんが、恐らく熊は夜や月の属性を持つから太陽の象徴とするのは間違いだと言っていたのかもしれません。
また、熊は「神」が訛化したものという説は、Y様のブログでもさくらさんが言及されていたし、言語学的にも熊は神として崇められていたから、古い時代は熊は神とイコールだったという説を唱えている学者さんもいます。
熊本は神本(かみもと・かむもと)、神戸は熊戸(くまこ・くまべ)、神奈川は熊奈川(くまながわ)、熊谷と
神谷(かむがや)も書き表せたんじゃないかな?と思います。
楚人(熊楚)の足跡は、熊本県~兵庫県~神奈川・埼玉県と東に移動していったかな?と考えるのですが、如何でしょうか?高麗川(こまがわ)という地名も高麗王朝の事ではなくて、熊川(くまがわ)で、元楚人の集落があったのではないでしょうか?
熊襲タケルの国は日本武尊に敗れた後、徐々に東に移動したのではないか?と思います。
朴 炳植という韓国の学者が、本来は皆太陽信仰だったのに、(残念なことに)ある時期から半島を熊信仰が席巻してしまった、という文脈です。太陽に反する黒い影。その意味はその学者の推測によれば、気候変動による日照りと干ばつで、太陽の白色と反対の影の色である黒色が求められた、というのですが、どうも苦しい説明でピンときません。太陽に対する月、という発想は無いようです。有名な学者でもこんなところです。
半島西側(百済方面)や南側(伽耶、新羅方面)に熊のつく地名がたくさんあります。
ユウと読むようです。
楚の熊氏もユウ氏です。あとからクマになったのでしょうか?よくわかりません。
なお、高句麗と高麗について、あやふやなのでちょっと確認してみました。
〇高句麗(BC37~AD668)からの渡来人の住む地をコマと呼び、高麗と書いたが、いろいろなコマのつく地名(狛江など)となった。
〇高句麗の後期の国名が高麗(こま)だった。
〇高麗をコウライと読む場合は、高句麗王族の子孫である王建がたてた国、高麗(コウライ、918年に建国、936年に朝鮮半島を統一して1392年に李氏朝鮮に滅ぼされるまで存在した)のこと。
〇日本と200年も通行のあったという渤海(698-926)もまた、高句麗を継承した王朝。
以下は「渤海と高麗の足跡をたどる歴史の旅」というサイトからの抄訳です。
長期に渡って続いた日本・渤海間の使節往来だが、なぜ大武芸王は日本に使節を派遣したのか?
その第一の目的は、「軍事同盟」-現代風に言えば、「日渤安保」の締結だった。
ではなぜ、渤海が「日渤安保」を必要したか?
それは渤海の建国事情にあった。自国の史書を残さなかった渤海の歴史については今なお多くの謎が残るが、渤海建国の直接的要因の一つが満州の大国・高句麗の滅亡にあったことだけは確かである。
高句麗と言うと、朝鮮人の王朝と言うイメージがあるが、実際は満州族-後の金・清を建てたツングース系北方民族が主体だった(※正確には扶余族が支配系であり、ツングースが基層民だったという説が正確だと思う)。
高句麗は、百済を滅ぼし強大化した新羅と、東アジアの「盟主」唐の挟撃にあい、668年滅亡した。
高句麗の遺民は、武装蜂起し国を再建しないように、各地に分散させられたが、696年、モンゴル系契丹人・李尽忠、ツングース系靺鞨人・乞四比羽(唐人が発音を無理矢理漢字で表記したもので、原音は不明)らと共に、高句麗王族・乞々仲象(乞四比羽同様、原音は不明)も唐に対して反旗を翻た。
そして、この乞々仲象が建国したのが、「大震国」-後の渤海国だった。
つまり渤海はその建国からして、大国・唐、更に朝鮮半島を統一した新羅と、敵対関係にあった。
その後、夫余は一体どうなったか? 「夫余」は、朝鮮史に登場する「檀君朝鮮」と同じ国なのだが、王朝交替の中で「高句麗」と国名を変える。そして、その高句麗の後身が、「渤海」なのである。つまり、
夫余(檀君朝鮮)→高句麗→渤海 (※→高麗)
では、日本と夫余の関係は? 夫余にはもう一つの系統があった。それは朝鮮半島を南下した一派で「南夫余」と呼ばれていた。この南夫余は朝鮮半島南部に定着し「百済」を建国したが、中には更に南下し対馬海峡を渡って、日本に来た者もいた。そして、その時、日本に渡った南夫余の王・依羅が、崇神天皇になったという説もある。(抄訳おわり)
参考になりますが、扶余=壇君朝鮮といわれると、えっそうなの?というところですが・・・
また高句麗には扶余やツングース以外の南方海洋系や長江~苗族由来の要素があること、熊女(月女神?)、熊信仰(月信仰?)との関連が、その壁画から直感されることを、すでに述べました。
赫夜様より
苗族や紅山文化の担い手(ウラル人かアルタイ人では?とも言われている。)の末裔に高句麗や勃海があるのでしょうかね。春秋戦国時代にも「高句驪(高句麗との関連性は不明)という国があった様です。」
高句麗の壁画を見ても、絵を見る側から見て左側に月を掲げた女神が描かれてるのですね。だから白山比メ神社の絵が正しい筈です。左側に女性(月女神)が来ないとおかしいのに、岐阜県の白山権現の絵の左側に描かれてるのは老齢の男性・・・月女神は完全に消されています。(消されたのではなく、赤い月や日没の太陽として、男性神の後ろに追いやられた。)
でも、高句麗の壁画の月を掲げる女神は、エジプトから直接蛙の女神ヘクトが伝わった感じがするのです。
邪魔された様ですね。
猿のスサノオ、牛のスサノオは、ネガティブな集団である黒服の奴らや私とY美叔母の夢に出てきた、水色の羽をしたコウモリ人間達に抵抗してきたのだと思いました。
職場のMさんの夢に出てくるカネゴンの様な姿をした宇宙人メッアは、猿のスサノオからも牛のスサノオからもそれぞれメッセージを託されているらしく、そのメッセージを託すに相応しい人物が、Mさんだったとメッアは彼に言ったそうです。メッアは私達に気付かれない様に私達地球人を見守っている様ですよ。
そして、Y美叔母と私は、地球上の歴史から考えたら気が遠くなる様な過去の時から、同じ故郷と志を同じくする「同胞(はらから)」だったんだなという事に気付く事が出来ました。すずたま様、大切な事を気付かせて下さり、感謝します。
猿神族(仮称)と牛神族(仮称)は婚姻関係を結んでいるらしいので、ネガティヴに染まる前に猿神族と婚姻した白牛神族の末裔達の国が、マガツヒメガミの国を形成したのでしょう。
また書きます。
常に猿・牛両方のスサノオと行動を共にしており、私達地球人に「スサノオ様達の事を伝えるのが使命」て言っているそうなのです。
メッア(メアァ)の姿は、蛙+河童+亀+アンコウを足して4で割った様な外見をしており、全く恐ろしげではなく、寧ろユーモラスで愛らしいそうです。彼らはスサノオ達に守られながら、スサノオの「仕事?」を手伝っているのだとか。それでも人間よりかは高次元の存在でしょうね。少なくともMさんの夢に出てきたメッアの性格は温和そうです。
最後の希望である人類(多分メッアも)を守っていてくれているのかな?と思います。
一字金輪仏頂も彼らの言葉?
恐らくベガ時代だかオリオン時代だかの言語が盛り込まれているんでしょうか、この絵(そう呼んで良いのかは不明)の真の意味を感覚的に理解できる人がいたとしても、それを人間の言葉で書き起こすのは無理なんでしょうね。だから仏画の状態で描くしかなかったのだと私は考えます。一字金輪仏頂も然別でしょう。(ヴィオニッチ手稿やレオナルドダ・ビンチの絵画にも同様の傾向を私は感じます。手稿の著者やダ・ビンチにもベガだかプレデアス時代の言語の記憶があった??)
ただ、これも直感的なものでしかないのですが、一字金輪仏頂を仏画で表すのは、ちょっと本来の意味とはズレた解釈されそうな気がします。でも仏画で表す以外に方法が無かったんでしょうね。そう言う私も一字金輪仏頂の表す真意は皆目見当も着きません。
すずたま様。
Y美叔母(母の妹)と私はまたもや同じ夢を数時間違いで見ました。それは、Y美叔母と私がK子伯母(父の姉)からそれぞれ緑色の翡翠の指輪を渡された夢です。その翡翠の指輪は紅山文化遺跡で出土した龍の輪に酷似していたのです。
K子伯母はY美叔母にこう言いました。
「Y美さん。もし私の魂が消される事があったとしても赫夜ちゃん(私)の事を頼みます。そして赫夜ちゃん。Y美さんと一緒に力を合わせ行ってね。貴女達の本当の仲間は未だこの世にいるわよ。それを覚えていてね。」
その直後にY美叔母と私は別の場面(世界?)に飛ばされました。その場面は、又しても恐ろしい光景でした。
一人の若い男性か少年が女神とおぼしき存在から使命を仰せつかっている場面の様ですが、その男性か少年はひどく怯えた様子で女神に訴えています。
「僕一人だけが詩ねと仰るのですか?!」
女神はこう答えます。
「心配はいりません。貴方と共に死んでくれるお共を用意しました。」
こう言ってY美叔母と私をその男性か少年の前に突き出したのです。Y美叔母と私は必死に「これは女神なんかじゃない!悪魔の怪物よ(だよ)!本物の女神様は貴方に死ねなんて言う訳ガ無い!」
そう言って男性(少年?)を説得している場面でした。この女神の様な存在も、ネガティブな意思でベガ人を支配しようとした輩の一部でしょうか?
たて続けにY美叔母と私は同じ内容の夢をほぼ同時に見るので、余程重大なメッセージでもあるのでしょうかね?
優しげな女神の様な存在は、すずたま様が仰っていた「口から蜘蛛の糸を吐いてきた魅力的な若い男」の仲間だなと、私は直感しました。
ネガティブな奴らは、さも女神の様に振る舞い、プレデアス人とシリウス人の末裔(猿神族と牛神族)たる現人類をネガティブ側に引きずり込もうとしているのでしょう。
私もY美叔母も遠い過去世でこの「女神の如く振る舞った『ソレ』」に負けてしまった・・・だから私もY美叔母も、自分自身で事実確認もせずネット上の情報だけに踊らされて集団ヒステリー的になっている人達を強烈に嫌っているんだと思いました。
例えて言うなら十字軍遠征時のローマカトリック教会や現在のイスラム過激派のテロリストを裏で操っている奴らです。「本物の崇高なる存在は、自らが創造した人間達に死ねなんて言う筈が無い」これが真理でしょう。「信仰の証として命を投げ出せ!」とか「お前の大切な者を私(神)の為に生け贄として捧げろ」なんて言う「自称神」は神なんかじゃなく、「ネガティブな奴ら」です。それか「ネガティブな奴ら」に操られている手下に過ぎません。
K子伯母(父の姉)が私とY美叔母(母の妹)に龍の指輪をくれたのは、人の魂は永遠である事を教えてくれたのだと思います。確か紅山文化の龍の輪は「永遠」を示すものだったからです。
龍城から新羅に流れ付いて新羅王の昔脱解になったという神話ですが、脱解は倭人ではありませんでしたっけ?脱海≒ウガヤフキアエズ?因みにウガヤをスマホで変換したら「烏賀陽」が出てきました。カラスと太陽なんて正に熊野神社と高句麗のヤタガラスですよね!ウガヤのカヤは朝鮮半島南部の伽耶という説もあります。伽耶は星でベガ(織姫星)の意味もあるとか。
また中国福建省には新羅地区という地名があります。龍城の豊玉姫の末裔では?更に北燕があった五胡十六国時代の新羅は大国ではなくて、小さな都市国家で、北燕が宗主国だったそうですから、北燕も新羅も共に豊玉姫の末裔という事で、この様な政治形体だったと考えられますね。
不確定要素も強い為、ここから下は書かないで貰いたいです。
K子伯母(父の姉)は、雄略天皇の正体を青蔵高原東部にあった吐谷琿の皇帝だったと言っています。吐谷琿も北燕も国姓は共にキツ「女+吉」氏です。
ウガヤ(烏賀陽)とは。オリジナルのルーツがベガにあったものという意味ではないでしょうか?
熊といえば紅山文化でも熊の神?と思しき神像が出土している様です。
現在の朝鮮半島に住む人々とどこまで民族的な繋がりがあるか不明ですが、朝鮮の建国神話に壇君神話がありますよね。確か壇君も誰かの庶子と熊女(ウンニョ)との間に生まれた子供との事ですが、熊女が紅山文化のクニの女王や王族だとしたらどうでしょうか?人間になりたがっていたメス熊というのは、後世父権制社会になった時に意図的に書き換えられたという事はないでしょうか?
そうなると壇君神話の場所は朝鮮半島じゃなくて、遼東・遼西から内蒙古自治区の辺りになりそうですね。
尤も当時が母権制だとしたら母違いの子供の扱いが悪いなんて事は無かったと思いますが。
熊女が月女神という視点は当たってるかもしれません。月女神アルテミスもギリシャに入る前の小アジア時代は熊と関係がある女神だったという研究を、京都大学の大学院生がされていた記憶があります。アルテミスはウルスラ(熊の女神)という別名もあったそうです。
また、熊は「神」が訛化したものという説は、Y様のブログでもさくらさんが言及されていたし、言語学的にも熊は神として崇められていたから、古い時代は熊は神とイコールだったという説を唱えている学者さんもいます。
熊本は神本(かみもと・かむもと)、神戸は熊戸(くまこ・くまべ)、神奈川は熊奈川(くまながわ)、熊谷と
神谷(かむがや)も書き表せたんじゃないかな?と思います。
楚人(熊楚)の足跡は、熊本県~兵庫県~神奈川・埼玉県と東に移動していったかな?と考えるのですが、如何でしょうか?高麗川(こまがわ)という地名も高麗王朝の事ではなくて、熊川(くまがわ)で、元楚人の集落があったのではないでしょうか?
熊襲タケルの国は日本武尊に敗れた後、徐々に東に移動したのではないか?と思います。
苗族や紅山文化の担い手(ウラル人かアルタイ人では?とも言われている。)の末裔に高句麗や勃海があるのでしょうかね。春秋戦国時代にも「高句驪(高句麗との関連性は不明)という国があった様です。」
高句麗の壁画を見ても、絵を見る側から見て左側に月を掲げた女神が描かれてるのですね。だから白山比メ神社の絵が正しい筈です。左側に女性(月女神)が来ないとおかしいのに、岐阜県の白山権現の絵の左側に描かれてるのは老齢の男性・・・月女神は完全に消されています。(消されたのではなく、赤い月や日没の太陽として、男性神の後ろに追いやられた。)
因みに古代エジプトにも「ヘクト」という蛙の頭を持つ女神がおり、後にギリシャで偉大なる月女神ヘカテーとなります。ギリシャではなくて、アナトリア半島のアラート・アナート・アルーザの月女神と習合した後にギリシャでヘカテーになったのかもしれません。ヘカテーも満ちる月、満月、欠ける月の三相の月を表しており、幼女・成人女性・老女の三つの姿を持つとされています。
でも、高句麗の壁画の月を掲げる女神は、エジプトから直接蛙の女神ヘクトが伝わった感じがするのです。